どうも、歯に詳しい人、おるたです。
このブログでは、大学受験で2浪し現在歯科国試浪人もしている僕が、
国試浪人10ヶ月の間に思ったことや日記などを備忘録も兼ねて書いています。
僕の人生の課題の1つに”傲慢さの割合を少なくし謙虚さの割合を増やす”というものがあるのですが、
基本が傲慢な僕でも流石に、
昨年国試に失敗して自己採点で落ち込んだ日から浪人の夏くらいまでは非常に謙虚に過ごしていました。
それこそ、「この浪人を期にやっとこさ謙虚な姿勢が身に付くのであれば、耐えがたい1年ではあるがこれから社会に出ていくに当たって必要な心の姿勢をついに身につけることができそうだな」と嬉しく思うくらい謙虚な姿勢を身につけることは僕にとっての課題でした。(傲慢だと、物事に真摯に向き合わないし、人に対しても斜に構えたうざい当たり方をしてしまうし、僕自身そんな自分がかなり嫌だからです。)
ところが、喉元過ぎればなんとやらで(過ぎてないですが)、徐々に傲慢さが戻ってきているのを感じているのが夏以降ずっとモヤモヤし続けてきていたことでした。
「これじゃあ浪人した意味がない。」
「浪人した1年の価値をプラスに転じさせるには、その経験でしか得られない素晴らしいものを得ることだけなのに、この経験で僕の一番したかった『傲慢な自分を謙虚に変える』ことさえできなかったら流石に情けなすぎる。かわいそう。」
自分がうまくいっていない時に腰が低く謙虚になるのは誰でも当たり前で、
平常時や上手くいっている時に腰低く謙虚にいることこそが重要なのに、
ちょっと辛い経験が薄れてきて、次の国試が見えて希望が湧いてきた瞬間に傲慢になり出すのは、我ながら傲慢すぎて引きました。
さて、ここからが本題で、
謙虚にいた昨年の上半期と、傲慢さが顔を出した下半期での僕の感情の変化を分析すると次のようなことが分かりました。
うまくいっていない時(上半期)は、 周りの人に対して「〜してもらっている。ありがとう。」という感情が多かったのに対して、
それが薄れてきた平常時、うまくいっている時、調子に乗っている時(下半期)は「〜してやっている。感謝してほしいぐらいだ。」と思っていました。
若干大袈裟に書いていますが、このくらいのことを思っていました。
書いてるだけでも自分がキモちわるいです。
ですが僕自身で改めて言語化して客観視できて良かったです。
「〜してやっている」という感情は人をどこまでも傲慢にし、
「〜してもらってる」という感情は人をどこまでも謙虚にする。
例えば彼女をディズニーデートに連れて行ったとして、
本当にチケットや交通費、ホテル代まで全て僕が予約、支払いをして計画も全部立てていて、
仮に「僕が連れて行った」という言葉が相応しかったとしたとしても、
「彼女を僕がディズニーに連れて行ってやった」と思うのと、
「彼女が僕とのディズニーについてきてくれた」と思うのとでは、
立ち振る舞い、言動が180度変わります。
前者の態度は不遜で傲慢で、荒々しくやさぐれた気持ちになり、終始自分が損したような不快な気持ちになると思います。
対して後者は物腰はやわらく丁寧になり、穏やかで優しい感謝の気持ちで過ごすことになることでしょう。
どちらの人が周りの人と幸せに過ごすことになるかは明白です。
「〜してやっている」って、変なキモい男がよく言いそうなセリフですね。
ますます今の自分が嫌になりました。
この記事を書いたおかげで、
僕自身の感情が整理されて、少し傲慢から距離を取れそうです。
「〜してくれている。ありがとう。」
本当に周りの人に支えられて今の僕があるのですから、
その原理原則を忘れないためにも、上記の言葉を胸に刻み込んで心の中でつぶやきながら生きていきます。